崇神天皇の皇居跡と伝わる磯城瑞籬宮
平等寺から金屋の石仏へ向かう途中、Y字型に道が分かれていて、左が金屋の石仏、海柘榴市観音堂、仏教伝来之地碑へと続き、右に取れば崇神天皇の皇居跡と 伝えられる磯城瑞籬宮があります。
第10代天皇の崇神天皇。歴代続く天皇の中でも、初代神武天皇と同じく、「初国治らす天皇(はつくにしらすすめらみこと)」と呼ばれ、重要な位置を占める 天皇として知られます。大神神社社務所を少し上がった北東方向に天皇社が祀られていますが、御祭神は崇神天皇とされます。国を治めるために酒造りを命じた 天皇としても有名です。
磯城瑞籬宮跡の拝殿と山の辺の道の道標。
磯城は古代の群名で、シキは「石城」で石で堅く固めた所を意味します。磯城瑞籬宮跡のある辺りは高台になっていて、昔は大和の地を見渡せるお宮さんであったことが 伺えます。南へ200mほど下った所には初瀬川が流れており、交通の要衝として人や物の往来で賑わっていたものと思われます。
磯城瑞籬宮跡の鳥居と、磯城瑞籬宮の境内。
万葉風景が広がる磯城瑞籬宮跡
「磯城島の」は大和に掛かる枕詞
鳥居をくぐって中へ入ると、拝殿の左手前に万葉歌碑が建てられています。
「磯城島の 日本(やまと)の国に 人二人 ありとし思はば 何か嘆かむ」 切ない恋歌が敷島の地に流れます。三輪山の麓の近鉄大阪線沿いに城島(しきしま)小学校 がありますが、城島は磯城島が二字化したものと思われます。ちなみに、実際の磯城瑞籬宮は今の場所ではなく、西へ少し行った所の天理教敷島大教会や三輪小学校の 辺りではないかと言われています。私は三輪小学校出身ですが、崇神天皇の皇居跡地で学んでいたとは思いもしませんでした。
多武峯御破裂山、鳥見山、音羽山が見渡せます
磯城瑞籬宮跡の手前に道標がありましたが、そこから遥か南方に大和の山々の眺望を楽しむことができます。周囲を山に囲まれた大和ならではの風景が広がります。 奈良の連なる山々を、トンボが連なって飛ぶ様に例えた蜻蛉島(あきづしま)は日本の古称としても知られます。